5年

のんびりセローで

2016年03月11日 14:46

もう、なのか、やっと、なのか。

あの大震災から、5年が過ぎました。

未だに津波の映像を見るのはキツい。

自分のメンタルがこんなにも弱いと気づいたのもあの震災でした。

未だに見つからない人達がいる事実が、終わってはいない証でしょうか。

未だに家族を探されている方達がいると思うとやりきれません。



仕事の中、私達の席に社長がやって来て話している最中にあの揺れがやって来ました。

徐々に大きくなっていき、止まらない揺れ。

すわ、とうとう関東大震災かと思っていたのが、

東日本全体に及ぶ震災になっていたとは。

会社のあるビルの道向かいの建設現場では

30mにもなる大型クレーン車が倒れそうな勢いで揺れ続け

フロアにある全てのファックス機が落ち、何台もある大型コピー機が右に左に動き回り

壁際の書類ロッカーは今にも倒れかかって来そうな勢いでした。


ようやく揺れがおさまり、近くの指定避難場所に出てくるも、

余震が続き、着陸出来ないジェット機が上空を何機も飛び回っていました。


業務中止となって帰宅を試みるも、電車は軒並み運行停止。

帰宅難民となって歩き出すも、

町中のスクリーンに映し出されている

宮城沖を一直線に進む津波の映像に言葉を失いました。


川越街道を歩き続けるも、川越へ半分に当たる朝霞で夜になり断念し

運良く空いていたカラオケで一夜を過ごしました。



そこで見るニュースの光景は今でもまざまざと目に浮かびます。


家内の両親が、以前転勤で以前住んでいた気仙沼の川の合流地点が

見る影もなく津波に飲まれ、火災で炎に飲み込まれていました。

結婚の挨拶に向かった家が跡形もなくなっていたのです。

既に引退し川越に戻っていたので無事でしたが

あそこに未だ住んで居たらと思うと冷や汗がでます。



翌日何とか朝霞から川越迄帰りつき、自宅は殆ど被害もなく無事でしたが

その後に続く福一の事故に唖然とし

計画停電で、何度も真っ暗な中、ランタンを点けてじっとしてたことを思い出します。



まだまだ復興しているとはとても言えない状況ですが、前向きにいかなければ

なにも良くなりません。

被災地の方達の大変さは未だに続いていますが、少しでも早く良くなること願います。





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